140208 作家ドラフト2014@京都芸術センター

画像はRAD川勝さんのサイトより

2/8に京都芸術センター(元・明倫小学校)で行われた作家ドラフト2014のオープニングトークを聞きに行きました。審査員である青木淳×選ばれた高橋耕平、鎌田友介の2名によるもの。
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会場はセンターの4Fにある和室(茶室?)で、和室なのに目測で天井高3mほどありそうな、けれど日本建築のルールに則りかつ竿縁の大面や床廻りの意匠など抑えつつも気が配られた凛とする空間でした。

高橋氏の作品は、元小学校である会場で、小学校で使われていた机をスクリーンにし、椅子を観覧者用に用い、そのスクリーンに京都の別の閉校になった彼の母校をドキュメントした映像を流した物。

トーク前は時間がなく、ちらっとしか観られなかったが延べ1時間弱ある映像をトーク後にゆっくり観ました。トークで聞くまで机を積み上げたものとはわからなかったスクリーン(馬の目の目地が投影されているのかと思っていた)は、高橋氏が「白いスクリーンに映すのとは随分違う経験が得られます」と言っていたように、使い古された天板の木目が映像にざらっとした味のあるフィルターをかけたような効果を施し、かつ、小津映画のような、主に正面から固定カメラで背景は動かず人物だけが横切ったり動いたりする映像は、机を積み上げた目地と相まってか不思議に安定感を感じ、風景を見るようにずっと見入ってしまいます。

スクリーンの端がまっすぐ切られず、(机が積み上げられているので)組積造のように段々に切り取られているのも、映像が端に溶け出すような没入感に一役買っているのかもしれない。(RAD川勝さんのブログに設営中の写真がありました。こちら。毎時5分、ex18:05〜でリピート再生されていますが、何も写っていない机だけが光を受ける数秒も、その時だけ机という基底面が露わにされてドキッとします。)

鎌田氏の作品は、京都における構築と破壊の歴史を二次的情報からのみリサーチし(一次的=実感として/住まわれた京都でなく、東京に住む他者として/外部からのイメージとしての京都)、その内容を、屏風を基底面として、遠近法を取り巻く二次元/三次元の視覚のズレを用い構築している。これまでの作品は、純粋に遠近法や三次元と二次元を行き来した形態を作っていたが、そこに場所のコンテクストという因子を入れることに近作では取り組んでおり、そのひとつが今作となる。青木さんも指摘していたように、リサーチ/コンテクストという因子を入れることによる拡がりの予感は理解できるが、実際出来上がった物を見るとその経験にまで上手く落とし込めていない/効果が実感できないように見えた。が、図法による視覚のズレを三次元化したものは(青木さん曰く、それだけだとオシャレなだけと言われていたけれど)、建築をやる者としては面白く、視点を移動する度に像というか焦点が移り変わる経験は楽しい。

美術作家の図録への寄稿など、美術界にも明るく見える青木さんの当ドラフトにおける選出基準とはどういうものなのだろう?と思っていたが、配られたコメントを読むに展示されるギャラリー2つの位置とシークエンスにおける空間的特性から、応募された156案がこの場所でどのような見え方(青木さんの言葉では共鳴)を起こすかを想像して選んだ、とあり、とても建築的思考の延長線上にあるように感じ妙に納得しました。

3/9まで開催中だそうです。



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