130810_身体性ということ

Mark Frauenfelderの「Made by Hand」という本を読んだ。
ポンコツDIYと副題にあるように、元々DIYとは縁のなかった著者が失敗を繰り返しながら色々なDIYにチャレンジし、その全てが上手くはいかないながらもDIYによって得られるものを考察したような本だ。その中の言葉に、「(失敗を重ねることは)目標を追い求めるのではなく、旅をするようなものだと考えればいい。それは開放的な楽しみとなるんだ。」というような一文があった。

何かの目的を完遂しようとすれば、懐が許せばもちろんお金を払いその道のプロや既製品の力を借りる方が早く優良な結果を生み出す。しかし、アマチュアでありレヴィストロースが言うところのプリコルールたる者がその過程を経験することこそに、学ぶものがあり価値があるという意味だと感じた。その通りだと思う。

角幡唯介は「探検家36歳の憂鬱」において、列を成しても富士山を登る人々について書いた文章の中で、(彼も含め主に都市に生きる人々に対し)身体性の欠如という病に冒されているという指摘をしている。腑に落ちた。

自分が今更ながら山登りを楽しみ、地図読みひとつ習得することに喜びを感じるのも、料理を楽しむのも、野菜を育て貧しい成果ながらも芽が出るだけでありがたく感じるのも、まさしくその病の現れだと思う。

山に入り地図通りの地形を確認することや、テントで夜の静けさや激しい雨音を聴くことはとても具体的な、手触りのある外界の感触を感じる。スーパーで安かったから、お裾分けで頂いたからと、初めて手にする食材や調味料で、失敗を繰り返しながら、目に見えない味というパラメータについて予想通りの操作ができた時の感覚は(その前に必ず失敗と反省が横たわるのだけど)小さいけれどつい人に言いたくなる喜びになる。(料理はいくら失敗しても自分で責任を取れるところがいい。食べればいいだけだから。かつ、成功の暁には人を喜ばせたり、お金も節約できたり、リターンが申し分ない。)例えば、食べた果物や野菜の種を適当に鉢植えに植えてみても、結構芽は出る。もちろん肥料や条件が整わなければ実がなるまではほぼ辿り着かないけれど、食べた種から芽が出るだけで結構驚く。唯一毎年しっかり実を付けてくれるのは何も手入れしていない庭の梅の木だったりするところがまだまだよく分からない。

つい先日、「映画 立候補」をやっと観た。小さな映画館に時折くっきり笑い声が響いていた。元CMプランナーという肩書きに納得するような映像の快楽をよくわかっている構成は、フィクションかと思えるくらいのノンフィクションで、見終わった後考えさせられるという意味では評判通りのとてもいい映画だった。劇中のシーンで、大阪市長の橋下さんと知事の松井さんが難波駅前へ演説に来たシーンがあった。その選挙カーはおそらく特注の全面ガラス張りの(おそらく世間が見たい彼らがよく見えるように)まるで走る動物園のようなものだった。そこでの集まった熱狂的な普通の人々とガラス張りの候補者という絵、支持者以外は排除され、イエスマンである支持者だけに一方的に語りかける橋下氏ら、という構図は異様だった。同じことは、その次のシーンで昨年末の衆院選において安部総理と、彼ら自民党を取り巻く日の丸国旗を振る群衆にも感じた。

そこには一方的な、一義的なコミュニケーションしか認めないというディスコミュニケーションがあった。

先月の参院選の最中、おそらく音楽に関わりを持ったことがある人のご多分に漏れず、三宅洋平氏の活動に興味を持った。最も印象的だったのは、(たしか)吉祥寺での街頭フェスの際、演説中にイチャモンをつけてきた自称アイヌのおっちゃんに対し、演説を中断して壇を降りて真っ向から面と向かって対話していたシーンと、神戸での演説後に、演説中に野次を入れてきたおっちゃんとこちらも面と向かって相手の言い分を聞き、自分の言い分を伝え、最後には仲良くなる、というシーンだった。掲げる政策の実現性や振る舞いや形式にいくらか不安は感じるものの、何より一人の人間としてそういった対立意見を持つ輩なおっちゃんと仲良くできる懐の深さのようなものに、経験的にこういう人は信じられると強く感じた。地に足の付いた、言葉に身体性を感じた。

設計においても、身体性はとても重要だ。学生の時も実務を行う今も、建築に関係のない、普通の友達(学生の時ならサークルの友達とか)が見ても面白い、これいい!と思えるかどうか、というのはとても気にかける。この閉鎖的な世界に居て、同業プロパーの人としか会わないと、つい建築界では通用するけど普通の人からしたら「で?」と言われそうな点に価値を置きかねない。ダイアグラムというのは何かを説明するにはとても重宝するけれど、それだけで説明できるような建築に地に足のついた良さはないと思う。それって、建築に身体性が備わっているかどうかという話ではないだろうか。

最近見たり読んだりしたこと考えることがちょっと繋がった気がしたのでとりあえずのメモとして。



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