撮影:吉田亮人
永代供養墓、というものを依頼があって初めて知った。
子供がいない人や、身寄りのない人、自分の代で先祖代々のお墓を継ぐ人がいなくなってしまうという人のため、お寺が彼らに代わり永代に渡って供養する、というものである。
それまでお墓と言えば自分の両家のお墓くらいしか訪れたことがなかったので、いくつか実際に訪れたり、色々な国や文化のお墓を調べたりした。その中の1つ、鎌倉の東慶寺は墓地という概念を変えてくれた。僕が今まで見た墓地は、おそらく近世になり平坦で効率的なグリッドに造成し区画割りされた、お墓しかない土地だった。しかし東慶寺は、谷状の敷地にあくまで元々あった地形に合わせ、取れるところに少しづつお墓を配置していったような、ランドスケープと墓地が一体化したものだった。起伏があり緑があり、普通に庭園を巡るように墓地がある。とても気持ちのいい体験だった。これならお参り「を口実」に来たい、と赤瀬川源平氏が書いていたのも納得できる。
しかし今回の敷地は市街地の真ん中の、老朽化したコンクリート塀に囲われ西隣に隣家が建てこみ、午後は日陰に覆われてしまうような場所だった。
東慶寺のような地の利は望めない。けれどそこで感じた印象をこの場所にも持ち込めないかと考えた。
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土に還る合祀という形式は前もって決まっていた。人ももちろん有機物なので、いつかは朽ち果て土に還る。地面に還る。
その地面になるべく近いところに、そっと置いたようなかたち、借景に望む大文字山や周りに立ち並ぶ墓石とも繋がりを持ったかたちを考えた。
低いと、墓碑に向かって拝むのではなく、墓碑の延長線上に地下に眠る人々に向かって拝むようになる。低さは、周りの風景を隠すのではなく、視線の角度によって気にならなくする。
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百年後もその先も、私や関係者が亡き後も、この永代供養墓は残る。
振り返れば、今まで勤めて担当した物件も含めてそこまで残る前提で作ったものはなかった。たとえ構造的に残ることが可能でも、設備的に経済的に、社会的に政治的に残すことが難しいのが日本の文化だと感じる。時代が代わり世界も変わった後も、そこに生きる人が見て、私たちと共有できるものがあればと思う。見る人の時代や文化に左右されないかたちを考えた。
石表面に施した仕上げの差異は、出来上がった当初はぱっと見ただけではわかりにくい微妙なものだ。けれど時間が経てば経つほど、太陽の光や雨風の力、土や緑や虫達の力によって、その差異は様相を変えていくだろう。その時にはもう自分もいないかもしれなけれど、その姿をとても楽しみにしている。
来春、焦点となる場所に桜の木を植えて、一応の完成を見る予定です。
竣工: 2013年8月
用途: 永代供養墓
建築地: 京都市
構造: 石造
建築面積: 14.5㎡
設計・監理: みささぎ
施工:北尾石材
撮影:松本崇/みささぎ
(*のみ、繁田諭/繁田諭写真事務所)
基礎工事、石工事:北尾石材/水野充弘、
馬籠道也、山子田、河原正純
金物工事:コンブ金物店
造園工事:小野寺造園/小野寺穂高
completion: Aug, 2013
type: tomb
location: Kyoto, Japan
structure: stone
foot print: 14.5 sqm
contractor: Kitao Sekizai
architect: misasagi
photo: Takashi Matsumoto
*:Satoshi Shigeta