7時半起床。シャワーを浴びて少し外を散歩する。空は曇っている。昨晩外観写真だけでも撮っておけばよかったと少し後悔。
9時頃簡単に朝食を食べて、荷物を整理してからタウンホール内部を見て回る。アパートの廊下から昨夜閉まっていた扉を抜けるとそこはタウンホール。

結局一晩中明かりが付いてたところはタウンホールの廊下だった。展示室もあり、この建物のコンペ時のアアルトの模型や図面、建設が決まった時の手紙など少し展示されている。他の落選した二案の展示もあるのが面白い。当時のフィンランド建築界のプレゼンの様式というかグレードがわかる。

同階には会議室とタウンホール事務室がある。そこで昨夜の宿泊代を支払う。記帳を見ると結構日本人の名前が見える。よくもまぁこんな遠いところまでアアルトの建物というだけで来るなぁと感心。自分もそうだが、すごい、というかその執念が不気味。上の階には議場がある。梁組が面白い。机も椅子も全て特別に仕立てられている。お土産に裁判缶が使うハンマーが売られていた。アアルト美術館にあった建築一覧マップはここには山と積んであった。(ユバスキュラのツーリストインフォにも山のようにあった)。

少し建物の周りを見て回る。地図を見ると丘の上にセイナッツァロ教会とあるので行ってみたが残念ながら閉まっていた。気づいたらもう12時過ぎだったので荷物を取りに戻りチェックアウトしてバス停へ。島を歩いて一周回るには一時間以上かかりそうだったが、昨夜もう少し廻っておけばよかったと少し後悔。天気の良いうちにきれいな湖を見ておけばよかった。

バスでユバスキュラへ戻り、駅のロッカーに荷物を預け、歩いて大学へ。

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University of Jyva:skyla:
Alvar Aalto
1957
Seminaarikatu 15,Jyva:skyla:,Finland

■ユバスキュラ駅(長距離バスでも同じ場所です)から南へ徒歩15分程度。途中にツーリストインフォもあります。

■アアルトの手がけた建物は11棟あります。内部を見ることができるのは、本館(月ー金、8-16時)、学生食堂LOZZI (月ー金、0730-1700、金-1600)、体育学部棟(月ー金8-20時)、スイミングプール(0600-2030)があります。学食は学生でなくても食べれて安いです。
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フィンランドの大学は私立はなく全て国立らしい。ここユバスキュラ大学は前身が教育大学のようで、言語学においてはフィンランド一だそうだ。若い学生は皆半パン半袖、女性はタンクトップで完全に夏模様。今日も26℃。暑い。
本館、学食と見て回る。学食の特徴的な屋根架構によるハイサイドライトは気持ちが良いが、高窓部分に換気窓がないため、暑い。あくまで冬を旨として考えられている。

英語の地図がないため、今一どこにアアルトの建物があるのかわからないことと、中まで見れるのはおそらくこれらがメインなので、このあたりで駅に戻ることにする。美術館も隣なので、平日に来られる方はまとめて見れば一日で廻れると思います。

駅でアイスクリームを食べて(暑いので一度食べてしまうと病みつきになってしまう。日本ではほとんど食べなかったのに。こちらのアイスは美味しい気がする)、駅で4日間同行したKさんとお別れ。別々の車両に乗り込み、タンペレで自分だけ下車。乗り換え予定の電車が50分遅れる。なのにヘルシンキに到着は20分遅れ程度になっていた。

駅前で少し食べてからトラム3Tに乗ってスタディオンYHへ。前回泊まったエンプロッタは取れなかった。最寄り駅で降りるとスーツケースを引いた女性に、YHに行くの?と訊かれる。同じく宿泊客だった。道を教えようとしたら彼女の方が詳しい地図を持っていて逆に付いていく形になる。スペインのサンセバスチャン出身の20歳で今はユバスキュラ大学で経営学を半セメスター学んでいるらしい。今日行ってきたところなので驚く。サンセバスチャンは今回の旅行のベストシティーだ、など話す。夕食がまだとのことで、荷物を置いてから食べに行くことになる。

ユースはヘルシンキのYHでは最安で20eだが、思ったよりきれいでシーツもタオルも付き、wifiも無料で早い。キッチンやダイニングも広く申し分ない。部屋は16人部屋だがかなり広いワンルームなのであまり気にならない。南京錠があればロッカーも使える。廊下で声をかけられる。振り返るとタンペレのYHで同室だった韓国人だった。驚き。世界は狭い。

ベンチで待っていると、また別の韓国人に話しかけられる。24歳で今はロシアの大学で社会学を学んでいるらしい。同じ大学の日本人の友達がいるそうだ。ロシア語は難しく、なぜか日本人は飲み込みが早いらしい。最近の北朝鮮によると見られる潜水艦沈没の話をすると、彼も兵役に行っていてやはりとってもハードだそうだ。友人をイラクでまだ20歳にして亡くしたという。そういうことを聞くと戦争がとても身近に感じる。

ロビーでスペイン人の彼女が両親とスカイプしている間、ログ更新など。22時頃近くのレストランへ。メキシコ料理屋なのに入って店員と話すとインド人だった。パンジャブ出身だと言うのでチャンディーガルに行ったよ、と言うとまさしくそこ出身だ!と盛り上がる。インドで最もクリーンで都会な街だ、と誇らしげに話していた。ヨーロッパ最後の夜に合わせたかのように、奇遇な出会いが重なる。

サンセバスチャンに二十年住んでいるなんでうらやましいね、と言うと、確かにきれいないい街だけど毎年同じことの繰り返しで退屈よ、と言う。今回の留学はたまたま大学に選ばれたそうで、望んだ形ではなく、この四ヶ月でもう本当に雪は見たくない、と思うくらい寒かったそうだ。明日にはまたそのユバスキュラに戻るのだけど、と。

23時半頃宿に戻る。がらんとしたダイニングで全然見通しが立っていないNYまわりの予定決定のための調べ物など。とりあえず落水荘とグラスハウスのガイドツアーを予約する。どちらも高い。3時就寝。



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