日帰り強行日程で、どうしても見たかったギャラリー間の内藤廣さんの展示と原美術館のボレマンス展に行ってきました。
ギャラリー間が開くまでに見られる内藤さんの建築はないかと調べて練馬区立牧野記念館へ。(ちひろ美術館は2月は休館。残念)
■牧野記念館
小ぶりながらも見応えがありました。作品集にも書かれていたけれど、微妙に湾曲した平面とむくりのついた屋根面のRC打設、というか型枠はさぞかし難しかったろうに、何事もなかったかのようにきれいに納まっている。二つの曲線のおかげで、建物の印象が随分まろやかに、ユーモラスになっていて、これがどちらも直線なら大きく印象が変わっただろうに。
外部トイレに続く回廊の庇もさりげなく、普通じゃない。やじろべえのような片持ちになっていて、それが直行することでXY両方向の水平力を負担しているのか、それによって建物本体と縁を切っていることにより外光が外壁をなめるように入り、檜の縁甲板がとても映えていた。柱頭の庇支持金物のデザインも秀逸。海の博物館をはじめ、内藤さんの建物はどこも構造接合部までデザインが行き届いていて感服する。(後で見たギャラ間でも、鉄骨と木のジョイント部分の原寸模型などがスタディされていた。
その他、縁甲板の出隅の納まりや、外気取り入れ口(or小屋裏or壁内換気の入口?)の収め方、スイッチプレートや回転引き手の収め方まで細かい所もおざなりにされていない。
庭に植えてある全ての木々に名札がつけられていて、日頃建築で使う樹種や写真でのみ見知ったものも見られて、展示も普通に楽しめました。
■早稲田建築
予定より巻きで廻れたので、通り道にあった早稲田の卒業設計展に寄る。
早稲田は10年ほど前から異なる研究室所属からなる3人グループによる卒業計画となったそうで、60いくつのグループの内12の作品が大隈講堂向かいのギャラリーに展示されていた。併せて修士計画と論文のパネルも展示。小さな要約版のパネルと(おそらく)模型の部分だけの展示がもったいない。スペースの都合なのだろうけれど、母校での展示くらい全パネル(B2で20数枚にもなるらしい)展示させてあげればいいのに、と思う。
見た中では、石山研の修士計画、色弱者のための家と、渡り鳥に纏わる計画の二つがテーマの必然性と、それが形にまで解像度高く落とし込まれているように感じ面白かった。
■ギャラリー間 内藤廣展
ギャラ間へ。
2Fに静岡の草薙体育館のパネルや模型、モックアップや実施図製本!、それと内藤さんの所長室を再現した一角に実際の蔵書の一部が置かれた本棚が並ぶ。3Fには海の博物館などこれまでのプロジェクトの模型やモックアップ、製本された実施図、ならびにコンペ提出案のパネルや現在進行中のプロジェクトのスタディ模型、PCに年表と図面や写真が収められている。
こんなに出してもいいのかな、と思ってしまうような大盤振る舞いで、じっくり見て回る。特に実施図面を詳細に見させて頂く。
設計事務所を運営していくにあたり、図面というのはかけがえのない財産の一つだと思う。スタッフが入れ替わっても、図面を通して先輩やボスの到達点や力量に感服したり学んだりする。今回発売された作品集でも多くの作品で矩計図が載せられており、新建築などに発表される際にも毎回必ず矩計図は掲載されている。構造部材の見え掛かりや、RC梁の配筋まで描くところは、一見当図面には不要(構造図や伏図に情報はある)かもしれないが、「描く」ことによる意匠設計者の理解は格段に深まる。どこまでやるか、を図面として定着させておくことは、後に続く人への教育にもなる。
図面をただの情報伝達の道具としてだけでなく、あくまでドローイングとして、いかに線で表現するかということへの矜恃を以前から感じていたが、今回の作品集の中で進行中のプロジェクトにおいてはスタッフの図面に内藤さんが赤ペンでチェックを入れているその細かさに、とても意識的にある水準を守られていることがよくわかる。
設計者として背筋が伸びる思いがした。
■FABLABO Shibuya
見学を予約していたFABLABO Shibuyaに伺う。
運営の形態から、活動、実際に工房にある機器で作られたものを見ながら説明を聞く。3Dプリンターの実物を見るのは初めてで、樹脂積層式、光樹脂式、インクジェット式と三種類が置かれていて、その仕上がりの違いやデータ入稿の形式(STLとのこと)、レーザーカッターの自作された出力スケールなど、どのくらいのことができるのかがよくわかった。
真ん中の手作りの粘土模型を3Dスキャンし、それを3Dプリンタで出力したのが左の黒い物。その3Dモデルをデータ上で断面に変換し、紙にレーザーカットして組み立てたのが右の物。
■Michael Borremans The Advantage
そして原美術館へ。
京都の建仁寺塔頭両足院にて、茶室の床に架けられていた2枚の墨絵(ボレマンス氏が3日間滞在し、実際にそこで描き、装丁も展示する場所も選んだそう)を先に見ていて、その構図の確かさ、安定感に、さすがだなぁと感心していた。絵の具でなく墨、モチーフや場所が違えども、書に通ずるような安定感を文化が違えど感じ取り描き出せるものなのだなと、その能力の確かさに感心した。
原美術館に展示されていた絵画も、とても良かった。いい彫刻を見た時のように見ていて飽きない。この良さはどこから来るのだろうと考えてみた。
◇構図の安定感
モチーフが人物であれ物であれ、キャンバスに対するバランスや重心がどれもとても安定している。
◇色彩の調和
ほぼ全ての絵において基底色が図と地で共通しており、画面全体としてとても調和して見ていて気持ちがよい。後で見たボレマンスのドキュメンタリー映画でも本人が「真っ白の紙に描くことは全く無い。何かの裏紙や汚れた紙に描くことで、その元々ある汚れがモチーフの手がかりになったりする。新しい紙に描く時もまずベースとなる色を塗る」と言っていた。
◇コントラスト
カメラの被写界深度のように、焦点を当てる所と当てない所の描き方のコントラストが強く、それにより画面を見る者に対して明快な視線の誘導がある。例えば「One」では、女性の頭部はしっかりと絵の具が盛られているが、画面下方の身体に行くに従い、淡くなり、机に埋もれるかのように透明になっている。淡くれなればなるほど、それは何かを描いているのではなく、抽象的な絵筆の動き、絵の具の盛りに見えてきて、そこに揺らぎが生成される。
◇視線の流れ
人物であれ物であれ、モチーフは正対せず、横や下を向いている。画面を見る者の視線を受け止めず、横に流すように動きを与えている。
上映されていたボレマンス氏を追いかけたドキュメンタリー映画では、アトリエでの様子や海外での反応、演奏する姿(バンドもやっている)、インタビューが扱われていた。同じモチーフでも、画面に対してのプロポーションは非常に重要で少し大きくしたり、書き直すことはよくあり厭わないと話す所にも、やはりコンポジションについてはとても意識的なのだなとわかった。
図録の写真は正直あまり良くないので(もしくは写真の限界なのかもしれない。色やマチエールによって実物から受ける印象は大きく違った)、是非実物を見ることを強くお勧めします。