新年あけましておめでとうございます。
今年の年末は大晦日の朝から降り出した大雪で駅前まで行くのもままならず、自宅にこもりっきりの年越しとなりました。おかげで初詣も毎年の下鴨神社まで行かず、近くの鷺の森神社と相成りました。
昨年は出発が控えていたのでお正月も関係なく準備に追われていたのに比べると、随分ゆっくり過ごしたなぁという感じです。早いものでもうすぐ出発から一年。行ったことが嘘のように特に大きなアクシデントもなく失った物もなく、旅前も後も旅先でも多くの方にお世話になりました。本当にありがとうございました。
そして、今年もよろしくお願いします。
で、おそらくもう発売なったのかな?
建築ジャーナル1月号に最終稿が掲載されております。よろしければご覧ください。
年賀状に「読んだよ」と頂いたのは嬉しかったです。では明日は松江にてスライドショー。
雪は大丈夫なのかな?
長靴も用意し準備万端。行ってきます

以下原稿の文章のみですが転載します。

日本を出発して4ヶ月後、ヨーロッパ大陸を抜けてアメリカ大陸に入った。
ニューヨークの宿に着いてさぁどこに行こうと考えた時、休みたがっている自分に気がついた。体は何も不具合ないのだが、折角調べておいた建築を見に行きたいという気持ちに勝っていたので素直に行き先を減らすことにした。もし同じような建築旅行をされる人がいれば一度の期間は3ヶ月くらいに止めることをお勧めする。集中力が持たず好奇心より疲れが勝ってくるし、非日常な刺激にも麻痺してくる。折角遠いところまで行くのに、そのコンディションは勿体ない。

 アメリカではライト、カーン、ミース、サーリネンを中心に廻った。ライト建築の人気は高く、一般観光客も数多く訪れており見学システムがどこもちゃんと整備されているのには驚いた。旅行するには国土が広すぎる上、鉄道やバス網は主要都市間に限られているので、車がないと行けない所が多い。ライトの落水荘、カーンのソーク研究所もそうで、日本でペーパードライバーだった自分にとってはこの運転が予想通りこの旅一番の関門となった。ワシントンDCから二回の逆走と何度もフリーウェイを降り間違えた末に落水荘へ辿り着いた時にはへとへとで、肝心の見学は疲れで何も感じなかった。結局1日10時間の運転。間違いなく日帰りで往復するべきではない。

 メキシコに入ると街並が変わった。アメリカでは見なかった露店の並ぶ風景や市場の賑わいは楽しく気分を再び元気にしてくれた。バラガンやキャンデラもお腹一杯見て回ったが時間があればもっと田舎の方まで街を見て歩きたかった。ペルーも同様で、ほとんどクスコとマチュピチュへの往復だけとなってしまったが(もちろん高地の空の青さやワイナピチュ山頂からのマチュピチュの眺めはすばらしい)リマからクスコへ向かう長距離バスから見えた、インドの街を思い出させるような貧しくも混沌とした風景にも立ち寄ってみたかった。その点ブラジルは都会過ぎたのが物足りなかったが、リオデジャネイロの、まるで海岸を中心に街が成り立っているような構造と海を中心に生き(ているように見え)る人々の営みに、違う人生の価値観を見せつけられた。ニーマイヤーの建築をいくつも見て回った中ではサンパウロにあるイブラクエラ公園の軒下の空間が最も素晴らしかった。自由曲線の平面形以外は何の変哲もない、さして天井高も高くない場所なのだが、公園内の施設と施設を結ぶ動線が膨らみ屋根がかかったようなもので、スケボー少年から散歩する老人まで多くの人に本当に自由に使われていた。その自由な賑わいとニーマイヤーの曲線とがとても幸せな関係にあった。

 旅行中や帰国後も、何が一番よかった?とよく訊かれるのだが、 良さの種類が違うのでいつも答えに困る。ただひとつ言えるのは建築単体よりも自然の方が断然心に響いたということで、マッターホルンの孤立する頂きの鋭さや、アルプスの山並みの圧迫感、サハラ砂漠の砂丘の稜線の美しさ、グランドキャニオン峡谷のスケールの大きさ、イグアス滝の水量には圧倒的なものがあった。巨大なスケールだけでなく、荒野に咲くサボテンの花の鮮やかさやインドの大地の貧しさ、イタリアのオリーブ畑の青さも心に残っている。わかったのは当たり前だが世界は広く多様であるということで、それを実感を持って経験できたことは大きい。建築については古代から現代まで名作と自分が見定めていたものをほぼ全て見ることが出来、少なくともそれ以上は(おそらく)ない、という実感も大きい。今まで見ていた建築雑誌をほとんど見なくなったのはそのせいもあるかもしれない。けれどこの旅行が自分にどういう影響を与えたのかがわかるのはまだまだ先になりそうだ。



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