160331_PAT in Kyotoとロームシアター

会期終了が迫るPATinKYOTOを見に京都市美術館へ。青木さんが改修される前に現状がどうだったかを久しぶりに見に行きたかったのと、先日知り合った高橋さんが出品されているのを見に行った。

結果、収穫が多かった。
入口から、富谷さんの銅版画は直球勝負の銅版画だからこそできる細かな描写を極限まで推し進めたような描写。

金さんの蝋で刷ったシルクスクリーンの作品は、風景やフェンスなど規則的な画面の中にノイズのように一部溶けたりほどけたりした部分が素材の特性ゆえに入り、あるモチーフを再現する、という画面上のイリュージョンをわざとばらしてみせるような違和感が面白い。

小野さんの展示は圧巻。網(とキャプションにはあったが、あの細かな突起シートは何だろう?)に対してシルクスクリーンを何重にもすり込んだ画面は、見る方向や距離によってその色面が代わり、玉虫色のようなしかし立体感のある、二次元ではない奥行きがあり、大賞と表記があったが、それもうなずける内容だった。

小出さんのセロファンをくしゃくしゃにしたようなものを点滅する光源とセットで展示しは作品は、どう版画なのかわからないが、影や透かした色、反射する光のコンポジションが面白い。

高橋さんの、京都市美術館に所蔵する版画作品を、おそらくそのサイズのみ再現した白い紙を京都市美の前で本人が掲げながら、キャプションを読み上げる作品は、その内容と関係があるのかないのかわからないポーズと撮影位置がコントのようで笑ってしまう。

図録も充実。公簿でなくギャラリストや評論家による推薦による20人らしいが、その推薦コメントも書いてあり、やはり選ぶ側の名前が出るいう責任感もあってかよい展示になっていた。

帰りにオープンしばらく経ったロームシアターにやっと初めて寄る。個人的には良かった。第一ホールの高さ制限を超法規的に緩和した高さは圧迫感を感じず(北側から自転車でアプローチした際も気にならずに忘れていた)、二条通から冷泉通りへの通り抜けを確保した増築部分も意匠は無難だが、その動線計画は評価できる。そこが出入り自由なのもいい。3Fがスタバのコーヒーも持ち込み可能な閲覧図書のあるラウンジになっていたのは結構穴場で空いていた。休憩にはちょうどいい。

蔦谷書店も品揃えだけチェック。のつもりが当のロームシアターが表紙の新建築今月号があり立ち読み。現物の建物の中で記事が読める幸せ。よくわかって非常に面白い。不透明な超法規的緩和の経緯は疑問だけれど、香山事務所は丁寧に設計していると思う。

平安神宮から南の鳥居までも、岡崎公園整備として歩行者遊歩道となり、芝生のある気持ちのいい公園になっていた。桜もちらほら。芝生で昼寝したり休憩する人もいて、都市型公園としてこの風景は良いなと素直に思った。

ただ、蔦谷書店やスタバ、2Fのレストランにロームシアターと、グローバルな中央集権型資本主義企業による消費空間だけになっているのが気になった。お金がなければ楽しめない。格差を形にしたような空間(公園は別だけど)。
そもそも音楽ホールというものはそういった晴れの舞台、富裕層の空間なのかもしれないが、気に掛かった。



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